命の重さ?

http://www.j-cast.com/2006/08/21002622.html

曰く、

「子種を殺すか、できた子を殺すかの差だ。避妊手術のほうが、殺しという厭なことに手を染めずに済む」

どちらにしろ人間のエゴには違いないのだが、

「自分の育ててきた猫の『生』の充実を選び、社会に対する責任として子殺しを選択した。もちろん、それに伴う殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである」

こう結ぶに至ってはもうなんだかあなた人間ですか?って感じ。
卵子精子たんぱく質の塊でしかないがひとたび受精したらそれはたんぱく質の塊を超えて生命となる。それを踏み潰してよい理由は本来どこにもない。もちろん生きていくうえで必要に応じて殺しその奪った命の上に成り立つのが生命であって、そこには一見矛盾がある。だが「自分の育ててきた猫の『生』の充実を選ぶ」のなら何故新しい命を踏み潰せるのか。命の価値は生まれてきた猫も元から飼っている猫も同じだろう。命として動き始める前にそれを止める事を否定する理屈は何もない。
実際女性にとっては毎月「命の素」が必然的に失われ、男性は必然ではないにしろ1回に数億の「命の素」を虐殺している(うぁーひどいな)。その事実に罪悪感を持つものがいるか・・・

ソースを直接見ていないので不確かだが

生きる目的は交尾し、出産する事

という表現もどこかで見た。
過程であって目的ではない。大間違い。